ひかり雑記

親愛なるしむどんに捧ぐ

村社会

村には領主がいないという話を聞いた。村が形成される前の時代は、荘園とかいう貴族をトップとしたコミュニティが形成されてたけど、そういう枠組みから離れた人たちが村を築いて集まってからしたそうだ。自治もかなり民主的な方法で行われていたと。

 

コミュニティの規模の問題って重要なんだろうなって最近思う。1000人以下で形成されたコミュニティだと、所属する人同士が全員顔見知りという状態になる。でも数万人規模になってくると、知らない人同士が生まれてくるし、数百万人のコミュニティは、その内部に無数のクラスタが出来て、クラスタが相互に作用したりそうじゃなかったりするんだろうと思う。

 

どういう場所で暮らしたいかというと、その人に委ねられるべきだと思うけど、現実はそんなことない。地縁とか親縁とか就職とかそういうものに縛られてしまうから、自分の意思で好きな場所で暮らすというのは難しい。とくに村に入っていくのは難しい。逆に都市に流れるのは簡単だ。

 

そういう問題がインターネットというバーチャルな空間でも起きてるんじゃないかと思う。インターネットは自由だけど、既に出来上がった村社会に土足で入っていくのはとても骨の折れる仕事である。だけどインターネット都会は誰も自分を見てくれない。誰かの作ったコンテンツを消費するしかない。都会で目立つのは図抜けた才能がある人達だけだ。

 

マストドンには誰も手のつけてない荒地が広がっている。そしてその荒地を開拓するツールが用意されている。自分の開いた場所に花が開くかは保証されないけれど、自分が一人だけ暮らすだけの庵のようなものは簡単に編むことが出来る。

 

村を作るのは大変だと。限界みたいな集落はいつか滅びるしかない。でもインターネットなら繋がってるから、繋がってる限りは孤独に死ぬこともないのかもしれない。